【牧田豊さんインタビュー記事2】田切駅と究極超人あ〜る

トップの画像は今回取材した牧田さんの撮影、提供です。ありがとうございます。

この記事は2番目です

ひとつめの記事の続きです。まだの方はこちら

【牧田豊さんインタビュー記事1】「轟天号を追いかけて」と牧田さん

2018年9月29日

みっつめの記事はこちらへだうぞ。

【牧田豊さんインタビュー記事3】聖地巡礼発祥の地の石碑やイベントのこれから

2018年9月29日

 

田切駅、伊那市駅に集う人たち

ド田舎の駅に何故か集まってくる人達。

実際はどんな人達が集って、イベントを盛り上げているのでしょうか。

「轟天号を追いかけて」にはOVA公開時に生まれていないような年代の方も来てくれます。特に京都出身の女子大生二人はイベントもないのに伊那まで来てくれることもあります。来るようになったきっかけは二人のうち一人が「R・田中一郎」にとても似ているんです。本人は「究極超人あ〜る」を知らずに友達から言われたそうですが原作を読んでいるうちにハマってしまったとのことで、二人そろって3回目から来てくれています。「R・田中一郎」似ではない子の方は家族も巻き込んでいて今年は家族総出のコスプレで来てくれました(笑)彼女は轟天号と同じ型の自転車をグリーンにしてきました。「すごいな〜〜。」と思いました。

轟天号はブリジストン ロードマンという名前のスポーツ型自転車です。残念ながら1999年生産販売は終了しましたが当時はとても流行った名車です。シリーズもたくさん発売されていて今でもインターネットで中古が売買されています。好きな人たちはそういったところで自前の轟天号を買って乗って来てくれます。

ロードマン・コルモ (Wikipedia より)

今年本当に驚いたのは北海道から「轟天号を追いかけて」に参加してくれた人がいたことです。登録したときに「本当にくるのかな。」と思いましたが本当に来てくれました。遠い道のりなのにどうして来るのかを聞いたら「子供の頃からのファンで来たくてどうしようもなかった。」と答えてくれました。「今回を逃したらもう行けない!」と本人の中でも決心がついたようで気がついたら飛行機の予約がされていたみたいです。田切ネットワークの一員の沖縄に住んでいる人もわざわざ沖縄から田切駅まで来てくれました。

しかも今年は台風12号が接近していて予報の進路は田切直撃のコースでした。それについて常連の方からも「台風が来る予報なのに来る人達は精鋭揃いですね。」という発言をいただきました。台風の進路は段々はずれてきましたが、台風の予報でも来る人達の熱意に驚きましたし、それと同時にとても嬉しかったです。

Facebookで「田切駅→伊那市駅1hour Bicycle“轟天号を追いかけて”連絡板」というグループも作っています。この連絡版を利用して告知や連絡、情報交換などを行っていますので参加者の皆さんには極力登録するようにお願いしています。告知以外にも「ひねもす(田切の蕎麦屋さん)に行ってきました!」などそれぞれの活動も書き込んでもらいみんなで盛り上がっています。

 

地元も巻き込んで誕生した限定メニュー「おかゆライス」

道の駅「田切の里」の鈴木マネージャーも「轟天号を追いかけて」のぼり旗を作るなど一緒に盛り上げてくれています。私からもミニサイズのぼり旗も作ってみたらどうかという提案をさせていただきましたところ今年のイベントに合わせて作ってくれまして、ありがたいです。

ミニサイズのぼり旗は当日は結構売れたみたいです。

今年も鈴木マネージャーが「Rくん定食とか轟天号定食とか出したいですね。」と言っていたので、それなら「おかゆライス」はどうかと提案しました。今回は鈴木マネージャーから「利益率上がらなくなるからそれはちょっと困る。」というプロの意見をいただきました。

それでも「轟天号を追いかけて」当日限定で10食「おかゆライス」を販売ていただきました。そのまま食べるのは流石に大変だったので塩を振ったり、出してくれた佃煮をおかずにしました。来年の課題としては器をお皿にして原作により近づけることですね。今年の器はどんぶりの形をしていたのでもう一歩。といったところでしょうか。

後日「あ〜る」ファンの方と会うことがあり、おかゆライスが当日限定で販売されたという話をしたら「じゃあ、今日は食べられないのか。」と残念がっていました。やはりファンの方々は食べたいんだと感じました。

「おかゆライス」はご飯以外は食べられない「あ〜るくん」専用メニュー

ーー道の駅も協力しているんですね。

私達イベントを運営する側は儲けを出すことは絶対にできません。しかし、田切地区、飯島町の皆さんにはしっかり「轟天号を追いかけて」を活用して儲けも出してほしいです。活気もどんどん出てくればいいと思います。

最初は「そんなに来るわけない」と思っていましたが今はたくさんの人を巻き込んで楽しむほどになりました。そうやってみんな一緒に楽しんで遊んでもらえば嬉しいです。

 

田切駅と究極超人あ〜る

そもそもなぜ「究極超人あ〜る」のOVAに田切駅が登場するのか、なぜ鳥坂先輩は「飯田線といえば田切駅が目的地ではないか。」と言ったのか。

田切駅は本当に何もない駅。なぜ何もない駅が目的地なんでしょうか。

田切駅と「究極超人あ〜る」の関係は一体どこから来たものなんでしょうか…。

実は「究極超人あ〜る」にはモデルになった学校があります。同じように登場人物にもモデルがいます。そのモデルとなった人の後輩にあたる人が「轟天号を追いかけて」に参加してくれています。春風高校光画部(モデルとなった学校は都立板橋高校光画部)のリアルなOBということですね。

そのリアルなOBの方がそもそもなぜ田切駅なのかを教えてくれました。

光画部は「ゲタ電」と呼ばれる旧国鉄の古い木造の車両を撮影するのがテーマで、飯田線を旅しながら撮影旅行を行っていました。当時、田切駅は今駅舎があるところではなく駒ヶ根方面のカーブの部分に駅舎がありました。その駅舎というのが土間がありと畳が敷いてあって寝床に最適でした。他にも寝床に良さそうな駅はいつくかありましたが、田切駅だけは唯一、網戸がありました。そんな理由で光画部は田切駅を拠点に飯田線の撮影旅行をしました。山田さん温泉も実際にお風呂に入れてもらったという話からきています。

こんな感じだったんだろうか(写真集 飯島町の百年 裏表紙より)

旧田切駅舎から今の田切駅舎へ。

旧田切駅はカーブにあり電車とホームの間が大きく空いており、駅の設置場所の規則にも堂々と違反していました。「昔なら許されていただろうがいつまでも放っておけない。」ということで立て直す事になったんですが今の駅舎も土橋上という特殊な場所ですのでとても大きな工事となりました。工事が完成したとき担当官の話では、「ああいうところにつくったから、ホームの基礎は特に頑丈に深く打ってある。だから大地震が来たら線路の載っている土橋がすべて崩れても、ホームだけは絶対に残る。」とのことです。この話は実際にこの工事に携わったKさんと言うJRのOBの方から聞いた話です

旧田切駅(写真集 飯島町の百年より)

 

 

盛り上がりをみせ続ける「究極超人あ〜る」の魅力。

原作「究極超人あ〜る」も盛り上がっていて新刊の10巻が今年8月、31年ぶりに発売されました。

「究極超人あ〜る」はなぜこんなに長い間愛され続けているのでしょうか。

そもそも3年くらい前から「轟天号を追いかけて」の前週に読み切りをぶつけてきているんです。これはもう完全に我々に対する(轟天号をおいかけてに対する)挑戦だと思っています。。最近ではグッズやフィギュア、サイクルジャージも発売されています。31年ぶりの新刊発売についてはびっくりですね。これはもう明らかに「轟天号を追いかけて」を始めてから「究極超人あ〜る」の周りが本当に活気づいてきたと思っています。けっして気負うことなく。

「究極超人あ〜る」の魅力は高校生活や部活での、あのグダグダ感がみんなを虜にしているんだと思います。行き当たりばったりで破天荒で「そんな!」ということがあるんだけどそれを登場人物みんなが楽しんでいる。あの無茶苦茶をやりながら楽しむ感じに「あ〜る」ファンは憧れているのかもしれません。

 

あのとき、現実のまちがアニメの中にあるという衝撃。

最近のアニメには実在する場所が登場することも多くなりました。そしてアニメに登場する場所を現実で回る行為を「聖地巡礼」と呼ぶことが定着してきています。

田切駅が聖地巡礼発祥の地だと宣言したのはなぜなんでしょうか。

今のアニメはデジカメがあるので風景を撮ってパソコンに取り込めばそれがほとんどそのまま背景になります。ですから非常に簡単に現実のまちをアニメの中に登場させることができます。しかし、OVA「究極超人あ〜る」で登場した田切駅や伊那市駅は全く違います。当時はデジカメがありません。だから現実の町を忠実にアニメに登場させるには綿密なロケや取材が必要でしたし、プリントした写真を見ながらセル画へ忠実に風景を写生したわけです。実際に存在する街を描くには大変な手間がかかるため、当時のアニメは仮想のまちを舞台に展開されるのが当然だったのです。しかしOVA「究極超人あ〜る」は忠実に田切駅、伊那市駅を登場させたのです。

「時代が時代だから」という訳ですが、今とは違う非常に手間のかかる手法で生み出された田切駅、伊那市駅は今のアニメの「聖地」とは異質であり別物であり、価値と重みのあるものだと思うんです。全国中にアニメの聖地はたくさんあるけれど「そこは一線を画したい!」という変なプライドがあるのも確かです。でも未だに抗議とかはありません。もっとも全国ニュースになっていないからかな(笑)。しかし他のところから抗議するだけの証拠はないと思いますし、四半世紀経っても訪問が絶えない、聖地巡礼が絶えないところって他に無いと思います。

 

 

 

続きます。続きはこちら

聖地巡礼発祥の地の石碑に込められた思いや今後の「轟天号をおいかけて」の展開について話をききました。

【牧田豊さんインタビュー記事3】聖地巡礼発祥の地の石碑やイベントのこれから

2018年9月29日

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